アディの○○製作所

趣味と日常のブログです

透明性の錯覚について

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この記事はEngineering Manager Advent Calendar 2020 11日目の記事です。

EMのアドベントカレンダーでははじめまして。アカツキでEMをしているあでぃです。
EMに関わる活動は?というと、EOFでスタッフをしたり、Engineering Manager Drink Meetupで話をしたりしました。

mercan.mercari.com

さて、最近はエンジニアとEMを行き来していた過去と比べると、僕の肩書はEMのみになりました。つまり多くは開発の状況の可視化やらエンジニアのキャリアやらの話を見る人になったという感じです。コードは趣味でしか書かなくなりました。

先日アンコンシャスバイアスの話を書きました。

blog.urapro.info

こういった認知バイアスの中でも特筆して「透明性の錯覚」というものが非常に好きなので、これについてもう少し話をしたいと思います。というのも、直近自分にあった大きな反省に「チーム異動をした先で、あまりに今までと同じコンテキストでものを語りすぎた」というものがあります。これは僕がなぜこういう話をするのかとか、こういうことを感じ取るのかとかを暗黙のうちに自分で定義してしまっていて、こういう話をこういう伝え方をしたらここまで伝わる。という自分の強い認知バイアスによるものなんだと結論づけているためです。僕の中の今年の言葉です。

透明性の錯覚とは

自分の内的状態が他者に実際以上に明らかになっていると過大評価してしまう傾向のことで、「自分の心の中が相手にバレている、と感じているが実際はいうほどバレてない」というものです。Illusion of Transparencyといいます。めちゃめちゃかっこいいですね、男子の心をくすぐってきます。

例えば、現象の例の1つに「メールや手紙での情報発信時に、著者が期待するほど読者が意図を読み取ってくれないと感じる」というものがあります。たしかになぁと思いつつ、ふと正面から考えてみるとこの現象って非常に興味深くないですか?

我々のように情報格差を解消するような活動をしている人たちにとって、人によって情報の感じ方に差が出てしまうような人の仕組みにはとても敏感にならざるを得ません。思ったように感じ取ってもらえない。思ったように伝えられない。これは大変な事態です。

logmi.jp

自分の頭の中(だけ)でイメージしているものほど起きやすい?

それらしい論文出典が見つからず、Wikipediaからの引用です。

For her PhD dissertation in psychology at Stanford University, Elizabeth Newton created a simple test that she regarded as an illustration of the phenomenon. She would tap out a well-known song, such as "Happy Birthday" or the national anthem, with her finger and have the test subject guess the song. People usually estimate that the song will be guessed correctly in about 50 percent of the tests, but only 3 percent pick the correct song. The tapper can hear every note and the lyrics in his or her head; however, the observer, with no access to what the tapper is thinking, only hears a rhythmic tapping.

これによると、「誰もが知っているであろう有名な歌を指で叩き、相手にその歌の推測をさせる」というゲームをやると、指で叩いている側は50%の確率で推測されるのではないか?と思っているが実際の正答率は3%だけであるというものです。

これは、指を叩いている人間の頭の中には対象になる曲が明確に流れている一方、相手はそんな事なくて指の音しか聞こえていないからです。つまり、コミュニケーションをとるお互いにとって共通している情報は「指の音」だけで、残りの情報は発信者しかもっていないことになります。

これこそが情報格差であると思いませんか?そして、情報格差があることはまだいいにしろ、これによって「情報を持っている側が、情報を持っていない側も情報を持っているかのように錯覚してしまう」というのが厄介です。

透明性錯覚におけるメッセージ内容と見積もりフレームの相互作用

さて、次にある研究です。

https://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2017/proceedings/pdf/JCSS2017_P1-11F.pdf

これは「透明性錯覚におけるメッセージ内容と見積もりフレームの相互作用」ということについて書かれたもので、メッセージの内容による透明性錯覚の起こりやすさについての仮説を検証していて、「善意・好意」は楽観的に伝わる一方、「悪意」もばれやすいものとして伝わると結論づけている。ここに関して、伝えたいものなのか隠したいものなのかには有意な差がないとされています。いずれにせよ、何らかの感情をのせたメッセージに関して、その裏の意図まで感じとられるだろう見積もってしまうという結果です。

結論を引用すると

本研究ではメッセージの内容について褒め言葉と貶し言葉に分けて比較を行ったが、日常場面でのメッセージのやりとりでは、こうした明確な褒めや貶しだけでなく、どちらにも取られうる曖昧なメッセージも多く、むしろそうしたメッセージが他者からの誤解やネット炎上に代表されるトラブルの原因になりうる。今後はこうした曖昧なメッセージを用いた場合での再検討も行う必要がある。

と結ばれていますが、この研究は気になりますね。追いかけていきたい。あとは、感謝は何度でも何度でも伝えることが大事なんだなぁと思ったりしました(小並感)

まとめ

可視化、見える化しましょう。という話はEM、特に開発のマネジメントをやるとなると常についてくる話題ではないかと思います。 なぜこういう可視化をしたか?果たしてこの情報が何なのか?を正しく汲み取れるようにしないと、ただただ知りたい情報を抽出するための情報を持っている人(=ほぼ自分だけ)がわかる情報を書き並べてしまうだけになってしまうなと思います。情報の見える化といった話題を扱う人として、改めて強く意識しようと思いました。

次に、情報を知る側が無知であることに気づくといったことも非常に大事だと感じました。情報格差が存在していることをまずはお互いに把握する事が大事です。情報の可視化は「私は情報を持っていない」ということに気づけるような仕組みにしていくのが大切なんだと思います。
その点で、カンバンは良いですね。タスクの滞留だったりタスクの勝手な増減だったりする見える変化からなにかを感じ取れる。カンバンの設計でこの課題はいくらか工夫できそうです。僕はカンバンが好きなので、かなりひいき目です。

以上、僕の好きな話でした。